えんがわさぼう
縁側茶房  第1回  第2回  第3回  第4回  第5回  第6回  第7回  第8回  第9回  第10回
     第11回  第12回  第13回  特別企画


(むちゃくちゃ)
無茶苦茶(昔は湯気の出る温度で煎茶を淹さなかった。
茶を知らない人は熱い湯を使ってしまい苦くなる。)

深蒸し茶の功罪 上

 第一回目から読み続けて頂いた方々を大変長く待たせてしまった。漸く “深蒸し茶”の功罪について話す段となった。今迄の掲載の中で度々ヒン
トとなる文章を記してきたので賢明なる読者にとっては説明不要かも知れ
ないが、一応おさらいとして一読願おう。
 明治を迎え仕事を失った士族に時の政府は牧の原台地の開墾を奨励し、
現在は日本最大の茶畑となった。(約5,000ha)静岡県の茶畑の1/4を占
める。
 政府は富国強兵をスローガンに軍備増強へ励み、その代金として輸出の
生糸・茶葉・陶器で全体の9割となった。東海地方の産物ばかり。知多半
島を含めこの地方の産業が現代も盛んな理由が分かる。輸入の綿花→生糸
→自動織機→自動車へ発展したのはご存知の通り。
 往時、生産された茶葉は紅茶用。全国の生産量の6割を輸出していたら
しい。随分と多い割合に思えるが、庶民は自家製の茶を飲んでいたので数
値に加わらない。田畑の畦や境界線、自宅の垣根に植えたチャの葉を筵
(むしろ)で揉んで日干ししていた。
 チャは発芽率が低く自然に繁茂する植物ではない。専門語で恐縮するが
「自家(じか)不和合性(ふわごうせい)」という性質をもつ、端的に言
うと自身の雄蕊(しべ)と雌蕊では授粉し難い。だから、別の仲間の花粉
を必要とする。そうすれば、皆で多くの遺伝子を持てるから天変地異や自
然災害の影響にも全滅せずに生き残れる。
 けれども、その性質は“農業”には向かない。何といっても“手間”が
掛かる。割に合わないのだ。良いものでも少ししか採れなくては農業とし
て食べていけない。国策としての輸出の為には収穫量が第一だったから。
そこで、挿し木(クローン)可能で、収穫量が多く、病虫害や冷害にも強
く、安定した品種が求められた。とうとう明治41年に『ヤブキタ(薮北
)』が発見され、それから既に100余年。
 殆どの畑は単一の品種で占められ、このクローンに合わせて機械化が進
み、化学肥料や農薬も作られて、農協からは指導も戴く。ヤブキタのため
に。
 特に戦後には茶葉の生産量が増加し、国内需要も電気ポットで喚起され
、チャが農作物として儲かるようになった。