えんがわさぼう
縁側茶房  第1回  第2回  第3回  第4回  第5回  第6回  第7回  第8回  第9回  第10回
     第11回  第12回  特別企画


五十にして四十九年の非を知る。(50歳に至って初めて、今までの49年間の過ちを悟る。さて、そのまま生き続けるか否か。現代に比べて平均寿命が短い時代の格言)

 今回は、いつもの茶飲み話から外れて特別企画にしようと思
う。
 9月8日付の中日新聞愛知県内版に掲載された記事について
紹介したい。

『常滑焼急須 上海で実演会』

 常滑の急須の歴史の中で、決して省けない出来事がある。
「とこなめ陶の森資料館」の中野館長に頂いた資料に因ると、
明治45年出版の『常滑陶器誌』には、明治11年に地元の
名士である鯉江方寿(こいえほうじゅ)父子が、清(中国)から
金士恒(きんしこう)氏を招聘し、伊奈長三(いなちょうざ)、
杉江寿門(すぎえじゅもん)等に急須の中国式製法を伝えたと
在る。
 記事について
此の度は、以下の顔ぶれで中国の上海にてロクロ技術を紹介する事
になった。
○村田益規(よしき)氏 常滑急須職人
 陶歴は弊店のホームページを御覧下さい。
○近藤栄一氏 (株)やまと陶苑社長
 愛媛県松山市で陶器・漆器の卸と小売業を営む。
○増野仁氏 松山大学教授 中国に明るく上海大学と交流。

○日程 村田氏は9月7・8日の両日、以下の茶館において中国茶
界の有力者の前でロクロを披露。
 会場:秋萍(シャンヒン)茶宴館(茶葉を使った料理を提供)
 また、道中庵の茶葉を使い村田氏が来場者に自ら提茶。
○協力 樺日新聞社本社 朝田様 上海支局 今村様

因みに、金士恒は上海で育ったようで、言わば135年の時を経て
の里帰りだ。
(※常滑では金氏の来日以前から急須を作陶している)
さて、ここで疑問の生じる読者がいるだろう。
何故、常滑の問屋や商店が関わっていないのだろうか。この話を聞
いて、是非とも同行したいと手を挙げる職人は、他に居なかったの
だろうか。そもそも地元では今まで発案や企画は上らなかったのだ
ろうか。如何なものだろう。
(右上画像(マウスオーバー後)は帰国直後、弊店で休息中の
ところ。)